こんにちは!ラズベリーです。
今回は、井上章一さんの「京都ぎらい」を読んだ感想をお伝えします。
※本ページはプロモーションが含まれています。
井上章一って誰?
井上章一さんは、国際日本文化研究センターの所長です。
ひらたくいえば研究者です。
専門は建築史、意匠論ですが、地域文化、現代風俗に関する造詣が深く、多くの著書を執筆されています。
特に京都や関西の文化に対する観点が独特で、他に類をみない斬新な切り口が特徴です。
簡単に来歴をご紹介します。
- 生まれ 京都市右京区花園 妙心寺付近
- 育ち 京都市右京区嵯峨 清涼寺付近
- 前居住地 京都市伏見区
- 現居住地 宇治市
京都市のご出身です。
本の概要
本書は、端的にいえば現代の京都の文化に関する本です。
そう聞くと、「何だか難しそう」「おもんなさそう」と感じるかもしれません。
が、その視点や語り口は、一般的な京都に関する本とは大きく異なります。
普通、京都関連の本は、観光都市としての京都や、歴史ある街としての京都を前面に押し出し、京都をひたすら称賛する、あるいは、京都に対する尊敬の視点から語ります。
しかし、この本ではそんなそぶりは一切ありません。
まず、著者の井上さんに、「京都人」という意識がありません。
「え?上に『京都出身』って書いてあるけど。」と思われたかもしれません。
確かに、井上さんは京都市出身ですが、京都の人たちは、京都市内西郊の花園や嵯峨あたりの出身者のことを京都出身とはみなしません。
なぜか?
それは、京都の人たちには、
「京都出身を名乗っていいのは”洛中”と呼ばれる京都市の中の一部のエリアの出身者だけ。花園や嵯峨は”洛外”と呼ばれるエリアで、同じ京都市でも”洛中”とは違う。 」
という中華思想があるからです。
”洛外”は”洛中”より田舎 ”洛外”の人が話す言葉は、”洛中”の雅な京ことばとは違って、なんか変 だから”洛外”を京都とは認めない。
そんな京都人(洛中に住む人々)の態度が、井上さんに京都(洛中)に対する深い、深〜い僻みを植え付けます。
この本は、現代の京都の文化に関する本ですが、京都に対する視点や語り口の根底に、この深い僻みが漲っています。
そこが、この本を面白くしているポイントです。
この本は、自分をさんざんバカにしてきた洛中の京都人に関する暴露本であり、ある意味では反逆の書ともいえるかもしれません。
自分をバカにした織田信長に、本能寺の変で反逆した明智光秀みたいです。
本の内容
洛中への僻み
前述の通り、「”洛外”出身の著者からみた、”洛中”に対する僻み」がこの本のテーマです。
この僻みは、本書の至る所に表れています。
例えば、
宇治の分際で、京都を名のるな。身の程を、わきまえよ。そんな京都人たちの怒号を耳にして、私は心にちかっている。金輪際、京都人であるかのようにふるまうことは、すまい。嵯峨そだちで宇治在住、洛外の民として自分の生涯はおえよう、と。
井上章一「京都ぎらい」(朝日新聞出版)
”洛中”に対する僻みが溢れています。
ところで、こういった地域特有の僻みだとか優劣意識って、京都以外にもありますよね。
京都以外の関西圏でも「芦屋に住んでるん?カネモやなぁ」「アマ出身なんや。どうりで、いかついな」みたいな会話をよく耳にします。
東京でも「港区に住んでるなんて羨ましい!」「足立区?ほぼ埼玉じゃん」みたいな感覚がありますよね。
亀岡よりはマシや
しかし一方で、そんな作者も、嵯峨よりさらに西側に位置し、京都市中心部から離れている亀岡市に対しては、優越意識を持っています。
田舎者よばわりをされた私は、より田舎びた亀岡を見いだし、心をおちつかせている。嵯峨は街からはずれているが、亀岡ほどじゃあない、と。
井上章一「京都ぎらい」(朝日新聞出版)
これまた、京都以外でもありますよね。
尼崎市民が「私が住んでるのは阪急沿線の武庫之荘やから、阪神沿線のアマの人らと一緒にせんで!」と言ったり、足立区民が「俺はれっきとした東京都民だ。ダサい玉と一緒にすんな」と言ったり。
本書で語られているのは、その京都版です。
この本では、京都とその周辺に住まう人々の、リアルな心情を知ることができます。
まとめ
現代の京都に息づく独特な文化を知ることができる、とても興味深い本です。
私のような京都以外の出身の人が読むと、京都に対して新たな見方を得ることができます。
観光都市としての京都、歴史ある千年の都としての京都という、今までのありふれた京都観ではなく、現代人が住まう生きた都市としての京都を知ることができます。
そこには嫉妬があり、選民意識があり、わだかまりがあります。
この本には、それらから派生した多くの毒が含まれていますが、そこが面白い。
京都に住んでいる人にとっては、「あるある」と共感しつつつも、自身の体験と重なり、少し辛く感じるかもしれません。
読んでる途中に、
「あ、これ、私も言われたことある。」
なんて思って、辛い記憶が蘇るかもしれません。
それくらい、この本は”洛中”へのリアルな僻みで満ちていて、その僻みが毒をもった語り口で綴られています。
おまけ
横山由依や安田美沙子は京都人じゃない?
京都人の「洛中意外は京都と認めない」という中華思想に従うと、「京都出身」として売り出している多くの有名人が、実は京都出身ではないということに気づきます。
詳しくは別の記事でまとめる予定ですが、例えば下の2人の芸能人さんなんかがそうです。
横山由依はん
横山由依さんは京都府木津川市出身です。
そして木津川市は、京都府の最も南に位置しており、奈良県と接しています。
私の知り合いの京都人に言わせると「木津川市は、ほぼ奈良」だそうです。
それにも関わらず、横山由依さんは京都関連のお仕事を多くされていて、洛中のいかにも京都っぽい雅なお店なんかを紹介したりしているので、京都人からしたら違和感があるようです。
ちなみに、この京都新聞のコラムを書いているのは、この本の著者の井上章一さんです。笑
言うてること、ただのセクハラおやじやないか。 笑
安田美沙子さん
安田美沙子さんは北海道生まれで、その後、京都府北部の大宮町(現京丹後市)と、京都府南部の宇治市で育ちました。
そんな安田美沙子さんに対して、「京都弁が不自然」みたいな意見は、ちらほら散見します。
まあ、宇治はともかくとして、京丹後市は京都市中心部から車で2時間くらい離れている日本海側の地域で、方言も関西弁ではなく、鳥取や島根と同じ山陰方言ですからね。
京都弁が喋れないのも、無理ないかもしれません。
それにも関わらず、雅な京ことばっぽい口調で話し、京都のはんなり感をアピールしているので、京都人たちは違和感を感じるようです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
さよならー
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